煩悩とは

煩悩について

煩悩(ぼんのう)とは

煩悩とは、人間の心を悩ませ、苦しみの原因となる欲望、妄執、憤怒などの心の働き全般を指します。
煩悩といえば、一般的には物欲や性欲などの具体的な欲望を指すことが多いですが、仏教では自分自身の心の中にある苦しみの精神作用を指します。
その語源はサンスクリット語で「苦しめる」「汚す」を意味する「クレーシャ」という言葉です。


般若とは

般若とは、物事の真実の姿を見極めて理解する「智慧」のことを意味します。
この言葉はサンスクリット語「プラジュニャー」(パーリ語ではパンニャー)の音写で、「智慧」や「悟りの智慧」を指します。
釈尊は、煩悩の働きを止めるのは気づき(念)であり、そして煩悩を根源から絶するものは般若(智慧)であると説いています。


煩悩の基本知識

三毒(さんどく)とは

三毒とは、根本となる煩悩のことです。
仏教では、この最も根本的な3つの煩悩は、人間を苦しめ、迷いの世界(輪廻)へ繋ぎ止める心の毒であると説かれます。

説明
貪欲(とんよく) 必要以上にむさぼり求める心のこと。
非常に欲が深く、飽くことを知らない心の様を指します。
瞋恚(しんに) 思い通りにならないと腹を立てること。
「瞋」は怒りで目を見開くこと、「恚」は恨みや感情をあらわにすることを意味します。
つまり、瞋恚は思い通りにならないことに怒り、憎しみや嫌悪を持つ心を指します。
愚痴(ぐち) 真理を知らない愚かさ。
物事の正しい道理を知らないこと(十二因縁における無明)が、煩悩の最も根本的なものとされます。

五蓋(ごがい)

五蓋とは、悟りに至ることを妨げる5つの煩悩のことです。
蓋とは、覚りやそこに至る道を覆い隠して妨げ、心を蓋するものという意味です。

説明
貪欲蓋(とんよくがい) 強い欲望や尽きることのない執着が心に蓋をして、執着を生む煩悩のこと。
無性に何かを欲しがり、満足することなく追い求め、正しい判断や真実を見えなくする状態になります。
瞋恚蓋(しんいがい) 思い通りにならないと腹を立てること。
「瞋」は怒りで目を見開くこと、「恚」は恨みや感情をあらわにすることを意味します。
つまり、瞋恚は思い通りにならないことに怒り、憎しみや嫌悪を持つ心を指します。
惛沈睡眠蓋(こんじんすいめんがい) 惛沈(こんじん)とは、心の落ち込みや積極性の喪失を意味します。
睡眠(すいめん)とは、眠気、まどろみのことです。
これは、肉体的な休息が必要という意味ではなく、やる気や集中力を失って心が眠りに入ってしまうことを意味します。
惛沈睡眠は、不快、不満、苦痛に意識を注ぐことで発生し、正しい判断ができなくなり、真実が見えなくなる状態です。
掉挙悪作蓋(じょうこおさがい) 掉挙(じょうこ)とは、心が浮つき、高ぶって落ち着きのない状態のことです。
悪作(おさ・あくさ)とは、過去の過ちや悪い行為に対して後悔する心のことです。
これは、心を荒立てるような物事に意識を注ぐことで発生し、考えに囚われることで集中力や心の安定を奪われてしまう状態です。
疑蓋(ぎがい) 疑とは、ブッダの教えを疑うことです。
これは、疑いの心で真実を閉ざす「蓋」となるため、悟りや安心を妨げる最も根本的な煩悩とされています。

五欲(ごよく)

五欲とは、人間が生きる上で執着してしまう5つの基本的な欲求のことです。
これらへの過度な執着は苦しみの原因になると説かれます。
五妙欲(ごみょうよく)、妙五欲ともいいます。

五欲は、五つの感官(五根)から得られる五つの刺激(五境)に対して執著することによって生じる五つの欲望のことを指します。
五根(ごこん)とは、五つの感覚器官のことで、「眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)」を指します。
五境(ごきょう)とは、五つの刺激のことで、「色(しき)、声(しょう)、香(こう)、味(み)、触(そく)」を指します。
五根こそが欲望の源となるため、仏教修行では欲望を抑制することを「五根を制す」と説かれます。

説明
色欲(しきよく) 眼根に対応する欲。
色彩・形状・異性や美しいものを求めて愛着する欲望のこと。
声欲(しょうよく) 耳根に対応する欲。
楽器の音色や男女の歌詠に対する欲望のこと。
香欲(こうよく) 鼻根に対応する欲。
芳香に対する欲望のこと。
味欲(みよく) 舌根に対応する欲。
飲食美味に対する欲望のこと。
触欲(そくよく) 身根に対応する欲。
柔軟な衣服や寝具、異性の肌に対する欲望のこと。

百八の煩悩

百八の煩悩は、仏教において人間が持つ108種類の迷いや苦しみの根源のことです。
煩悩は一人の人間につき108個あると言われています。 「108」という数の由来は諸説ありはっきりしていませんが、一般的には以下のような説が提唱されています。

説明
人間の感覚と感情 人間の感覚である6根(目・耳・鼻・舌・身・意)に「好・悪・平」の3種、「浄・染」の2種、さらに「過去・現在・未来」の3世をかけ合わせると108になる。
四苦八苦 人生の苦しみである「四苦(生・老・病・死)」と「八苦(愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦)」を掛け合わせる(4×9 + 8×9)と108になる。
暦の数 1年の月の数(12)+24節気(24)+72候(72)を足すと108になる
九十八随眠(くじゅうはちずいめん)と十纏(じってん) 九十八随眠(人間を輪廻の世界に縛り付ける根本的な執着)と十纏(人をまとわりつく煩悩)を足すと108になる

煩悩に対する考え方

浄土真宗の考え方

浄土真宗では、人間は生きている限り煩悩を断てないという「煩悩具足」を認めて、煩悩を抱える自分自身の姿に気づくことが、心穏やかに生きる一歩となるという考え方をとっています。
親鸞聖人は「人間は煩悩を断ち切れない」と断じ、煩悩を抱えた自分を受け入れること(悪人正機)を重視しました。
「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」という、煩悩を抱えたままの姿こそが救いの対象であるとし、阿弥陀仏に帰依(念仏)することで煩悩のままで悟りに至ると説いています。


真言宗の考え方

真言宗では、煩悩即菩提を唱えつつ、身・口・意(三密)を整える修行により、煩悩を抱えながらも仏と一体になる(即身成仏)ことを目指す考え方をとっています。
また、「三毒の転換」という、貪瞋痴の三毒を仏の智慧によって「三薬」へ変えることを重視しています。


曹洞宗の考え方

曹洞宗では煩悩を無理に消し去ろうとするのではなく、そのままで仏の行いをすることを重視します。
煩悩を含めたままの姿で坐禅に取り組み自己と向き合う「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」や、自分の足元(自分の行動や心の中)をしっかりと見つめる「只管打坐(しかんたざ)」の実践こそが悟りへの道「煩悩即菩提」と説かれます。


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